愛しき君との結婚行進曲 〜Our wedding march〜


「薫子さん、結婚式どうしましょうか」

「ぶっ……ゴホッゴホゴホ……ふぇえ!?」

 唐突と云えば唐突な千早の言葉に薫子は危うく飲みかけのアイスティーをテーブルにぶちまけるところだった。

 二十年近く培ってきたなけなしの――と云わざるを得ないのが悲しいものの――女性としての意地というか体面のようなものがそれを押しとどめる。

(流石のあたしでも彼氏の顔面に飲み物吹っ掛けるなんて真似したら気まずくて耐えられないわっ)

 逆流しかけて未だ少しツンとした痛みを残す鼻をすすり、若干涙目になりながら目の前に座る千早の方を伺う。

 当の千早は「何をやってるんですか」と半ば呆れたような表情を浮かべていて、それがなんだか薫子にとってはおもしろくない。

(誰のせいでこんな目にあったと……。いきなり、け、結婚なんて……)

 手渡された布巾で口元を拭う。

 何の気無しに受け渡しをする光景は、もはや二人にとって呼吸をするように無意識の行為だったが、それだけお互いにとって相手がいることが日常になっているのだろう。

「そ、それで、ケ、ケッコン、って……?」

 先の自然な遣り取りとは打って変わって薫子の口調は硬い。口が回らない、というだけでなくその単語そのものに対して思うところがあるせいか、どうにもぎこちなさが出てしまう。

(ケコケコって、あたしは鶏かっての!)

 そんなことを思いながらも当然千早にぶつけるわけにもいかず、誰が悪いわけでもないだけに感情を持て余しつつも千早の言葉を待つ。

「あれ? 薫子さんのところにも届いてましたよね? 結婚式の招待状」

「あ? あ……。あぁ――――あ! あったわね……そういえば……」

「あったわね、じゃないですよ。もう来週じゃないですか」

「あ、あっははー。そういえばそうだったそうだった。そろそろ服とか準備しないとねぇ」

 すっかり失念していたことと、千早の口から出た結婚という言葉に動揺していたことを誤魔化すように乾いた笑いを続ける。

 色んなニュアンスの混じった羞恥心がほんのりと薫子の頬を桜色に染め上げていて、自覚してかしないでか、まるでその朱い薄化粧を取り払うかのように頬を掻く。

「勝手に僕の分の返事も出したくせに忘れてたとか、少々酷いんじゃありませんか」

 数ヶ月前に千早と薫子の家それぞれに届いた旧友の招待状。

 その時二人はお互いの招待状を持ち寄って、どうしようかと話をしていたのだ。結局「あたしに任せて」という意気込んだ薫子の言葉に押されて、いつの間にか勝手に出席に○を付けて返事をされていたのだけれど。

「いやあ、だってさー。『エルダーのお二人に是非に』って書いてあったら、ねぇ?」

「何が『ねぇ?』なんですか。だいたい僕はもう聖應の生徒ではないのですから、あまりエルダーとか、ましてや女性として動くのは大変なんですから……」

「そりゃあ解ってるけどさ。でも千早は、友達の結婚式なのに祝ってあげようっていう気持ちは無いの?」

「そこまでは云いませんが……」

「だったらいいじゃなーい。まあ、あたしも友達で結婚第一号だったっていうのでつい嬉しくなっちゃって気合いが空回りしちゃってた部分もあったかもしれないけどさ……」

 招待状を見た時の薫子の様子を思い出す。

 文面からも幸せそうな雰囲気が滲み出していたあの招待状は、見てたら確かにこちらも温かい気持ちになる。

 恥ずかしがったり、涙もろかったり、怒ったり――自分の心に素直な薫子だったら、すぐに感情移入してしまったというのも頷ける。

 それ自体はとても良いことだし、微笑ましかったのだけれど。

 問題はそこからの暴走を止めることが出来なかったことだ。

 千早は正直に云って出席するかどうか悩んでいた。

 送り主は、元3―Dの生徒で香織理のクラスメイト。隣のクラスとは云え、創造祭でフレグランス・カフェを合同で開催してから香織理だけでなく千早やケイリとも意気投合して一気に仲良くなった人だった。

 と云っても、流石に当時女装をして学院に通っていたという秘密を打ち明けられるはずもなく――もっと云うならば打ち明けるほどには近い存在にはなりえなかったとも。

 親密度で云うならば聖や茉清の方が上だろうし、その二人にも告げていないのだから、何か事故のようなことでも無い限り正体を明かせる道理もない。

 序列を付けるようで千早自身あまり考えたくないし、考えないようにしている問題ではある。

 根底が既に嘘から始まっていた生活だっただけに、そこを考え出したらキリがない。

 仲は良かったけれど出席するべきか否か。祝電で済ますべきではないのか。

 そう思っていたところで、薫子は感情が昂ぶりすぎたのか勢いに任せて二人分の招待状を出席にして返信、となったのだ。

「あの時もう少しちゃんと薫子さんを止めていれば……」

「ぶーぶー。何よう。いいじゃない、おめでたいことなんだからさー」

「まあ……今更どうこう云ったところで時間は逆行なんてしないですからね……。僕だって嬉しいとは感じていますし」

「はぁー、それにしても結婚式かぁー。何着て行こうかなぁ」

「僕も準備、しなきゃなんですよね……。はぁ……ボロが出ないといいんですけど」

「そういえば千早の女装姿も久しぶりなんだよね」

 聖應学院を卒業して少し。

 それぞれの学校へと進路を進めた二人は、暇を見つけてはこうして逢って近況を報告したりしている。

 千早は卒業後は当然と云うべきか、女装を止め、男性として日々を過ごしている。

 最初の頃は折りにつけ学院行事や友人からの誘いがあり、男性に女性にと、なかなか落ち着かない日々を過ごしていたものの、最近はだいぶ落ち着いてきたところだった。

 ようやく意識せずとも女性らしさが抜けた振る舞いを出来るようになり――そんなことをしみじみ実感した日は打ち砕かれたように崩れ落ちていたようだが――男性らしく見
えるようになってきたと、薫子から嬉しいような悲しいような評価をもらっていたのに。

(最近は女装なんてしてなかったから不安だな。クラスメイトとかも結構来るんだろうし、本当に大丈夫なのかな……)

 千早にしては珍しく弱気な考えをしていたところで――

「千早は当日何着て行くの? やっぱああいう席ってフォーマルな服だよね? 千早って女性用のフォーマルな衣装も持ってたりするの?」

「まさか……持ってるはずないでしょう。聖應の時は制服がありましたからそれがフォーマルな衣装と云えましたけれど、今となってはね……。週末にでも買いに行ってきますよ」

「そうだよねぇ……流石に千早と云えど持ってないかー」

「何が『流石』なのかは解りませんけれど。そういう薫子さんは大丈夫なのですか? また身長伸びたとか云ってませんでしたっけ?」

「うっ……そこは触れないでちょうだい……」

 痛いところを突かれて言葉に詰まる。伸び率≠ヘ年々減少傾向にあるものの、聖應卒業後も僅かずつ身長が伸びてしまっていることは、薫子の大きな悩みでもあった。
「これ以上大女になんかなりたくないってのにーっ!」

 触れないで、と自分で云っていた割に、自ら触れて自爆している姿は相変わらずで、彼女が悩んでいるとは解りつつも千早は微笑ましいな、と優しい眼差しで見てしまう。

「じゃあ一緒に買いに行きましょうか。女性物を買いに行くわけですから、その……、女装しなければならないでしょうし。予行練習だと思って、薫子さんにも付き合ってもらいますよ」

「うん、そりゃあ構わないけど」

「久しぶりで僕も一人で出歩くのは怖いですからね。頼りにしてますよ」

「はいはーい。まぁ千早に限って大丈夫だとは思うけどねー」

「そ、それはそれで喜べないのですが……ようやく抜け出せたと思ってきたところなの
に……」

 引きつったような笑みを浮かべる千早。

 その脇で「千早の服かー」と脳天気に呟いていた薫子は、はっとしたように顔を上げた。

「……? どうしたんですか、薫子さん」

「……名案だわ」

「え――?」

「いいこと思いついたわ!」

 握り拳を作り、瞳の中に炎が見えそうな程の熱気を滾らせて薫子は思わず席を立つ。

「えっと、あの……薫子さん?」

「千早! 買い物は服だけじゃなくて靴も買いましょう! ねっ!!」

「はい? はぁ……まぁいいですけれど。どのみちパーティー用の物は持っていませんでしたし」

「っよし!」

 妙な気合いに満ちた薫子の気配に不安を隠しきれない。

 ただ、こうなると止めるのもなかなかに骨の折れる仕事だということも解っている。

(とりあえずは、買い物の時の様子を見てからかな。何か良からぬ事を考えているよう
だったら問答無用で止めよう)

 だいぶお互いに遠慮が無くなってきたなと実感しつつ、週末を想う。

 変則的にはなったけれど、思いがけずデートのようなものになったし、これはこれでいいかと思うことにした。